巡査部長から警視までと長い間、刑事、それも捜査第二課で勤務してきました。自分の責任で、捜査指揮を行ってきた刑事時代は、たとえ上司であろうが、検察官であろうが、啖呵を切って仕事をしてきたように思います。
選挙取締りの期間に、デスクで仕事をしていると壁一枚をはさんだ庶務係の女性陣から、「出た。〇〇節」と言って、私の激を喜ぶという不思議な現象も生んでいました。
官房勤務となってからは、参事官からは、「怒るなよ(怒ってはいないのですが。)。」と釘をさされ、次長からも、「怒鳴るなよ(怒鳴ってはいないのですが。)。」と言われ、部長からは、「声がうるさい。」と開いていた執務室のドアを閉められるということを何度か経験しましたが、単に気合を入れて仕事をしていたというだけだと思っています。
元本部長で、警察庁長官になられた方に本部と警察庁出向時代に仕えたのですが、その方が、組織犯罪対策部から刑事局長に異動する際の訓示で、「刑事に引き分けは無い。勝たなければならない。」とおっしゃっておられました。
大阪府警の捜査第二課長などを歴任して、上司となられた警務部長は、「出来ないという言葉は要らない。何とかしてやろうという気持ちが欲しい。」と指示されていたのを覚えています。
被害者や遺族に対して、「犯人は捕まらないかもしれない。」ということは絶対に言えることではありません。ましてや、「出来ない。」と言うことなどありませんし、「何とかする。」という気持ちで捜査をしています。
刑事にとって、経過や経緯は必要なく、「結果」だけですから、そこには、「一生懸命やりました。」とか「努力しました。」という言葉は無いのです。
犯人が捕まらなければ、「嘘つき」と罵倒されようが、指弾されようが耐えて行かなければなりませんし、そういう覚悟がなければならないのです。
警察庁勤務時代の上司(本部長よりも先輩だった。)から、「京都府警の幹部は、本部長と言い、警務部長と言い、刑事の掃き溜めだな。」と笑いながら電話をもらったことがあります。
その行間には、私も入っているというか、私に対しての言葉だったのでしょうが、最高の誉め言葉だと思ったことを覚えています。



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