警部補で捜査第二課に勤務していたときには、贈収賄事件の端緒情報を自ら取得し捜査を担当する、いわゆる自己端緒の特捜班にいました。
贈収賄事件の端緒を取得するまでには、署はもちろんのこと、本部にも出勤することは出来ず、夜10時ころに班長に電話で、今日の活動と明日の活動を連絡するということになるのですが、なかなか精神的にハードな仕事でもありました。
あるとき、自治体の課長が、家庭から出る一般廃棄物の収集運搬の仕事を委託するに際し、業者から賄賂を収受したという事件があり、職務権限と帳場長として従事していました。
当時の捜査第二課というか、班長の方針として、情報を取ってきた者が収賄被疑者を取り調べることとなっていましたし、贈賄被疑者はベテランの警部補が取調べました。
しかしながら、収賄被疑者は、任意出頭には応じるものの、日常の挨拶以外は完全黙秘で、贈賄被疑者にあっても、雑談には応じるものの、事実については全く触れることなく、3日が過ぎようようとしていました。
任意の取調べで3日も過ぎるとその事件自体の評価が怪しまれることとなりますので、捜査は終結つまり打ち切りとなるのが通常なので、そのときも「もうこの事件は無理だな。」という雰囲気でした。
午後6時を過ぎてから、班長からいきなり、「(贈賄被疑者の)取調べに入れ。」と下命を受け、先輩を差し置いて取調べをするのは気が引けたのですが、同僚たちの疲れもピークで、事件の見極めもしたいという気持ちもあったことから、そのまま取調べに入りました。
取調べの内容等については省かせてもらいますが、午後11時を回ってから「仕事を得るために課長に数十万の時計を購入して渡した。」と贈賄の事実を自供したので、日をまたぐ取調べをすることも出来ず、自供書だけを取って帰宅させました。
自供はさせたものの、先輩の係長を思うと帳場にあがって報告するのは辛いものがありましたが、翌日、贈賄被疑者は出頭しないまま、行方をくらまし、その追い込みもまた班長から命ぜられて、「よく使われるな。」という気持ちのほうが強く働いていました。
行方不明になった贈賄被疑者は何とか見つけ出して、任意出頭をかけて取り調べたところ、一旦は否認に転じたものの、数時間後には事実を再び認めましたので、その供述の否認や変遷の気持ちなどと併せて供述調書を作成し、事後の取調べについては、完全黙秘している収賄被疑者からの連絡内容なども教えてくれるようになりました。
収賄被疑者は最後まで、供述することは無かったのですが、贈賄被疑者の供述などによって、最高裁まで争われたものの、有罪となりました。
後日、私の取調べに対して、「あいつはやったらいけない取り調べ方をした。」という風聞やそれを聞いたという先輩から詰られたこともありましたが、先に取り調べていた先輩などの気持ちも考え、何ら反論はしませんでした。誰がそのようなことを話そうが真実はひとつしかありませんし、贈賄被疑者がそのようなことを裁判で主張したこともありませんでした。
しかしながら、辞める1年前にも大先輩から「やったらいけない取調べをしたんだろう。」と言われたときには「もういいだろう。」と思い、「やったらいけないという取調べというのはどういう取調べですか。」「取調べの際には付きの人もいたんですよ。その人から話してもらいましょうか。」と反論したところ、「いや詳しくは知らない。」としどろもどろになっていました。
悲しい組織だと思わずにはいられませんでした。



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