地域警察官が襲われて、殺害されたり、けん銃を奪わたりという事案は毎年のように発生していますが、私自身の経験を書いてみたいと思います。
広田正晴(当時41歳)は、昭和53年に現職警察官であったときに同僚のけん銃を盗み出し、郵便局強盗を働き、仮出所から5日目である昭和59年9月4日午後0時50分ころ、京都府西陣警察署十二坊派出所に勤務していた鹿野人詩巡査(当時30歳)を船岡山に誘い出し、けん銃を強取する目的で、刃物で鹿野巡査を全身滅多刺しにし、奪ったけん銃で射殺しました。
広田はその後、大阪に向かい、金融業者を襲い、従業員を射殺して逃走したのですが、千葉県の実家で捕まり、平成9年12月19日に死刑が確定しています。
当時、私は西陣署の千本丸太町派出所に勤務しており、公休日でしたので、自宅のテレビの速報で事件を知って、署に参集しました。鹿野巡査の相勤者は、昇任試験のため不在であり、単独で誘い出されたところを殺害されたもので、ご遺体にも接しましたが、もうそれは口にするのも憚るほど酷いものでした。
当時のけん銃には、用心がねの中に「安全ゴム」を入れ、容易にけん銃を発砲できないようにしていいましたが、翌日の当番勤務には他の派出所員は広田の捜索が任務となったため、若手であった私がひとりで派出所に勤務することとなり、上司からは安全ゴムを外して勤務するように命じられました。
組織を逆恨みしての犯行でしたが、犯行の前日には嵯峨嵐山派出所員の誘い出しを試みたのですが、警察官が2名で誘い出された場所に来たため、凶行に遭うことはなかったことも後日、明らかになっています。
今の組織でも不備はたくさんありますが、警察官が亡くなったり、けん銃が奪われたりすることによって、少しずつ改善はされるのですが、何か憤りを感じざるを得ません。当時の捜査にあっても、一つ間違えば、被疑者の犯行を立証出来なかったということも知っています。
いずれにせよ、今も昔も言えることは「危険」と隣り合わせの仕事をしているということです。鹿野さんのご冥福を祈りながらも、このようなことは現実にあったことであり、これからも起こりうるのだということを胸に刻んで仕事をして欲しいと思います。



コメント
鹿野巡査殺害の兇器は、刃物ではなくボ一ガンでしたね。当時田辺署から捜査車両で事件現場や千本今出川辺りを検索しました。