「起きないこと」や「存在しないこと」を証明することは、たいへん困難ですが、一方で「起きること」や「存在すること」を証明するためには、たったひとつの例をあげればこと足ります。
「無い」ということを証明するためには、世の中のことを全て調べて把握しておかなければならず、それは限りなく「不可能」となるのです。
議論において『先に存在しないことを証明してください。証明出来なければ「存在する」ということですね。』と主張する詭弁を「悪魔の証明」と言います。
実際は「存在しないという証拠はない。だから存在するかもしれないし、存在しないかも知れない。」という結論にしかなりません。
取調官:お前がやったんだな。
被疑者:違いますよ。私は知りません。
取調官:じゃやっていないという証拠を見せてみろ。
被疑者:出来ません。
取調官:証拠がないならお前がやったんだな。
捜査において、証拠を収集するのは捜査側にあり、立証責任も捜査側にあることから、このような取調べは、まさしく「言いがかり」ということになりますし、そのような取調べをすることはありません。
このような「言いがかり」は、国会においても、野党側が与党の退陣を求めるために「疑惑」を作り出し、その立証責任も果たさず、言いっぱなしで、「やってないなら証拠を見せてみろよ。」という形で良く見られます。国会で追及されると資料を作成したり、提出するのは官僚ですから、官僚自身が、その煩雑さから逃れるために改竄などを行って、また「疑惑」を作り出すことになるのです。
マスコミでも常套手段となっており、関係者が「警察に相談した。」と言えば、当然、警察側に相談簿等の記載があれば、その内容を検討出来るのですが、「相談」というのは「一般的なことを警察に聞いた」という「教示」に留まるものもあり、電話がかかってきたという事実はあっても相談ではない場合もあります。
しかしながら、警察に「相談した。」という言葉が独り歩きすると、「相手が相談してるっていうてるやないか。」と一方的にマスコミからの追及を受け、相談を受けていない警察としては「悪魔の証明」をしなければならなくなります。
警察という組織は「広報」が全く出来ない組織であって、国会対応と同様に官僚主義の典型である「正しく広報」することよりも炎上しないように「火消し」に走るために、現場の警察職員を犠牲にしようとします。
マスコミや関係者の言動に振り回されることなく、「警察が取った措置」を詳細に広報する必要があり、それを自ら広報し、あるいは指示するのが幹部の役目であり、幹部は、現場の警察職員を委縮させたり、病気にさせることのないよう肝に銘じてください。



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