Eva(公益財団法人動物環境・福祉協会Eva)

もうがんばれない

思い

 いろいろとやってきた。いろいろと試してもみた。自分自身の勉強をして努力もしてきた。人にも聞いた。相談もした。お金も投じてきた。

 でも、やっぱりどうにもならない。もうこれ以上がんばれない。と人は思ったときはどうなるのでしょうか。

 そういう現実に出会ったときは、たぶん「放心」するのだと思います。その「放心」という心の異常を何とか正常に戻すために、泣き叫び、怒り、騒ぐことで心をコントロールしようとします。

 警察職員の仕事には、この心をコントロールすることさえ許さない、許されない風潮があるようにも思います。

 東日本大震災の現場に派遣された警察職員は、まさしく阿鼻叫喚の地獄図を目の当たりにしました。亡くなった人は還らないし、見つけ出すことも出来ない。亡くなった人を引き取る人さえいないという現場で心が彷徨うのです。

 でも、何とか頑張って職務を遂行しなければなりませんから、ひとりになったり、自分の時間が出来ると泣いたり、わめいたり、大声を出したり、騒いだり、ときには酒を飲んでそうすることもあったと思います。

 しかし、そうやって、何とか頑張って自分の心を正常に戻そうとしているときにさえ、「警察職員なのだから騒ぐな。」「遺族が見たらどう思うのか。」という組織を背景にした脅しや力でねじ伏せようとする幹部がいます。

 警察職員であっても「人間」です。家族も居れば愛する人や守るべき人もいます。警察職員の自尊心に無頓着なのが組織でもあるのです。

 組織であるならば、組織であるからこそ、対面を気にしたり、精神的に追い詰めるのではなく、飲まなくても「泣けて」「叫べる」場所を作ってあげるべきではないかと思います。

 ストレスを発散させる場を作ることも大切な幹部の仕事だと思っています。

 突然死症候群で亡くなった子供の司法解剖に立会ながらも、どうしても、自分の子供とだぶってしまい、涙が出てきたことを覚えていますし、解剖後はせめて、微笑むようにエンバーミングを施したこともありますが、それでも心は自分でコントロールしていかなければならないのですから。

 犬は生きているだけで楽しいという話しを聞いたことがあります。

 飼っていた拾得犬も、きっとそう思っていたのかもしれませんが、最後は認知症になってしまい、自分の犬小屋でさえ避けるようになりました。夜鳴きというか遠吠えみたいなこともするようになりましたが、決して噛みつくこともなく、手に餌を載せると舐めるように食べ、最後は喉の奥に入れるようにして、餌を与えていましたが、「本当に生きているだけで楽しいのか。」と何度も泣きたくなったことを覚えています。

 警務課次席をしていたときには、同時に犯罪被害者支援室長も兼ねていましたので、犯罪被害者の遺族の方からお話しを聞く機会が多くありました。

 犯罪被害者や遺族に二次被害を惹起させる言葉として、「あなたは強い人ね。私なら生きていけない。」「あなたは大切な人がいるから頑張らなきゃ。」と聞いたことがあります。

 犯罪被害者や遺族は、それに対して、「私はそんなに強くない。死ねるのなら今すぐに死ぬ。」「今も頑張っているのに、これ以上どう頑張ったら良いのか。」という思いも聞きました。

 犯罪被害者や遺族は、「やっぱり、自分が間違っていたのだろうか。」「あのとき私が行動さえしたら。」と自分自身を傷つけているにも関わらず、それをさらに深く傷つけ、自分を責めているにも関わらず、その気持ちに塩を塗り込むということをしている人たちがいます。

 組織がそういうことを本当に分かっているのか。信頼や絆の構築などと言ってはいるものの、それに対する思いやどういうことをしていかなければならないのかを分かっているのかと組織に身を置いて、幹部という仕事をしている以上、毎日のように考え、ときどき自分自身が「もう頑張れないな。」と思うこともありました。

 しんどいときには「しんどい。」、泣きたいときには「泣く。」、疲れたときには「休む。」、そんな普通のことに気づく組織であって欲しいと思います。

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