Eva(公益財団法人動物環境・福祉協会Eva)

社会的制裁

捜査

 犯罪に遭った遺族や被害者にとって、犯人が捕まるとか裁判で有罪になるということはひとつの「区切り」であって、「無念が晴れる」というわけでは決してありません。

 ましてや、遺族にとっては、犯人が罪を償おうと被害者は生きて帰ってくることはないのです。

 だからこそ、捜査員は「もっと生きたかった。」「もっと一緒に過ごしたかった。」「いろいろなことをしたかった。」という被害者や遺族の無念を思って捜査にあたり、それを原動力として犯人を捕まえるというのも矜持の一例かもしれません。

 私の勤務地の上司であり、東京に出向したときの上司でもあったかたが、刑事局長の退任式で「刑事は必ず勝たなければならない。」と話されたことがありましたが、その意味は良く分かりましたし、キャリアらしからぬ方でもありました。

 警察しか被害者の無念を晴らすことは出来ないと思うのは、日本において、いわゆるリンチ、私的制裁は認められて無く、法で裁くようになっているのですが、腑に落ちないというか、おかしいと思うことが多々あるからなのかもしれません。

 裁判官が公判において、「既に社会的制裁を受けており」という私的制裁を情状にして、刑を言い渡していますが、おかしいとは思っていないのでしょうか。それとも前例踏襲なのでしょうか。

 社会的制裁は誰がするのでしょうか。指弾するのは誰でしょうか。近隣の方から後ろ指をさされることでは決してありません。

 裁判所以外に制裁をする人や社会があるのです。通常はそれを私刑と呼びます。それを裁判所が許しているどころか刑の軽減を考慮する日本の司法は大丈夫なのかと思ってしまいます。

 社会的制裁は誰がするのでしょうか。警察官が発砲すれば、罪の軽重や被害の拡散防止ということを論じることなく、「警官(私はこの言葉が嫌いです。警官ではありません。警察官です。)発砲」と謳っているところのことです。

 決して、フェイクや間違ったことをしようと誰一人として責任を取ることはしない勢力です。ときには悪意を持って「切り取った」言動などを声高々に発する組織でもあります。公然とこのようなことをするわけですから、社会的制裁を使命だと勘違いする集団や人たちが出てきても仕方がないのかと思います。

 今はインターネット社会であり、その社会的制裁は一生消えることはなく、これからも増え続けていくのかもしれません。

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