初めての署長時代には、管内にあった撮影所の方々に仲良くしていただいて、防犯啓発活動などで女性警察官の髪結いや着付けなどを無償で協力いただいたり、大きなポスターを作成していただいたりと本当にお世話になりました。
当時、撮影所の親会社が危惧していた撮影所の前所長を特別背任罪で通常逮捕したことがありましたが、商法にあった会社編が独立で会社法という法律になり、その法律による起訴は府下では初めてとなりました。
事件相談を受けた当初は、本部捜査第二課と合同で捜査すべく、刑事課の知能犯担当係長に進言したのですが、捜査第二課の返事はけんもほろろだったそうなので、私自身が係長と頭を突き合わせて、犯罪事実を構築してやった事件でもありました。
管内には、今はマンションになっている大魔神などで有名な撮影所をはじめとして、映画全盛期にはたくさんの撮影所があり、役者がアパートを借りて、撮影の服装で街を闊歩しているというところでもありました。
平成になってから、映画が斜陽となり、映画に変わって、テレビが台頭するようになると、映画のセットを作る大道具という仕事を生業にしている人たちが生活に窮するようになりました。
署の知能犯担当の刑事だったころに、前述の撮影所を舞台とした大道具の会社の社長が資金繰りに窮して、私の管内に居住する音楽関係者から数百万を騙し取って、夫婦で逃避行している詐欺事件を扱いました。
刑事に成りたてのころで、撮影所に行くと暴力団と思しき人がたくさんいて、私を見ると「どこのもんじゃ。こら。」と威嚇してきたのですが、警察手帳を見せた途端に「おやじさんとは知らずに。」と掌を返したような態度を取ってきたこともありました。
時代の背景とともに、一時期は日の出のごとく隆盛を極め、映画界では、なくてはならなかった人物が犯罪に手を染めたのですが、撮影所の誰もが悪口を言わない方であり、恩義がある撮影所関係者からの供述調書の作成が捗らず、苦労した事件でもありました。
詐欺を働いた社長夫婦を中部地方まで追って逮捕したのですが、取調べを含めて、最初から最後まで事件を担当しました。しかしながら、裁判では、私自身が証人出廷を求められることは無かったのですが、「(私の名前)という巡査部長に利益供与された。」という弁護人主張のもと高裁まで争った結果、上訴は棄却され、初犯であるにもかかわらず、執行猶予のつかない懲役8月が確定しました。
私が主張することではありませんが、撮影所の名前に触れたり、その弁護士の事務所の前を通るたびに、あれは弁護過誤だったと思わずにはいられません。



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