1 ありがとう
4月になろうかというのに、まだまだ肌寒く、昨日は雹も降っていました。また、明日から来週にかけて雨の日が多くなりますが、春の雨は「菜種梅雨」と言って、一雨ごとに暖かくなるものです。
退職の二日前に、同じ警察職員であるものの国の機関の所属長に出向している彼から退職する私へ電話が入りました。彼のことは見知っており、挨拶も交わしていた仲ではあったのですが、部下であったり、直接に仕事がかかわるということはありませんでした。
それでも彼は、退職する私に対して慰労の言葉をかけてくれたのですが、数分後には涙声になってしまい、少し急ぐように電話を置きました。彼だけでは無いですが、別れを惜しんでくれる警察職員がいるのだと思うと嬉しく思うと同時にもらい泣きをしそうになってしまいました。
彼は退職の前日にも訪ねてきてくれました。涙ぐんでしまった電話を詫びながらも、電話のあとは嗚咽になってしまい、決裁を止めてもらったということを話してくれました。それからは思い出すように通勤の電車で声をかけてもらったことを話してくれ、最後は、昔、署を訪ねた私が的確な指示をする姿を見たときの思いを「恰好良かったです。」と独り言のように呟きました。
私は、ひとつひとつの出来事を覚えていないというか、忘れてしまっているといったほうが適切かもしれません。しかし、当事者である彼にとっては忘れがたい思い出だったのだと思います。彼には何度もありがとうと言って部屋を出るのを見送りました。本当にいまでも心から有難いと思えてなりません。
2 わかったか
異動で新たな部署や新たな業務を行うことから、不安になったり、わからなかったりすることも多々あると思います。そのようなときは同僚や上司に気兼ねなく何度でも聞いてもらったら良いと思います。むしろそうすべきだと思います。
わからないまま仕事をすすめたり、不安な気持ちで仕事をするといつもならしない失敗などをしてしまいます。失敗をすることでますます仕事が嫌になったり、難しいことを避けようとする気持ちが働いてしまうと書類を亡くしてしまったり、不適正事案に発展したりもしますので、わからないことや不安な気持ちを解消するためにどんどんと聞いてください。
聞かれる側である同僚や上司は、教える立場として、決して「わかったやろ。」「出来るやろ。」という確認は取らないようにして下さい。「わかったか。」とか「出来るか。」という問いかけには「わかりました。」「出来ます。」という答えしか返すことが出来ないからです。
教えを乞うている者の気持ちとしては「もう聞けない。」「わからなかったけど一人でなんとかしてみる。」と思ってしまいますし、遅々として仕事が進んでいなかったり、時間が経過してしまうと教える側の気持ちとしては「出来るって言うたやないか。」「わかったっていうたやんけ。」と怒りの感情が働いて、それが「ハラスメント」につながり、職場環境は最悪のものとなってしまいます。
どこが分からなくて、どこが分かったのかという進捗状況を確認することが大切です。時には時間をかけて確認してください。そんな暇はないと思われるかもしれませんが、部下や同僚が仕事が出来るようになるというのは、自分の負担が将来的には減るのです。ましてや上司にあっては「部下を育てる」ということは命題そのものであるのです。
言葉というのはいつまでも人の心に残りますし、それに感情が伴うということは少なくありません。楽しい仕事ではないからこそ、せめて職場くらい「よし。今日も仕事に行こう。」「みんなが待っているし。」と思える「楽しい」職場にして下さい。
3 自分もやってきた
仕事の内容や進め方を聞かれたときに聞いてきた者も同じように出来ると思うのは少し待ってください。「自分もそうやってきた。」「自分は出来た。」と考えて、当然に相手方も出来るのだと思うことはやめてください。
仕事を教える人と相手方が同じような経験があったり、年数を経ているのであれば、まだしも、教える側のひとりよがりになる可能性が高くなります。
考え方としての話しです。
ウサイン・ボルトが100メートルを9秒台で走ったからといって、ウサイン・ボルトがあなたに同じように100メートルを9秒台で走れと言ったら出来るでしょうか。走れるようになるために練習をしている間に命を落としてしまうことになりかねない可能性のほうが高いと思います。
人はそれぞれに身体能力も違えば容姿も異なります。たとえ外見を変えたとしても中身まで変わるものではありません。おおげさな例え話だと思うかもしれませんが、私が巡査に対して同じような捜査指揮をしてみろと言うことと同じなのです(時代遅れは私で巡査の方が出来ることはたくさんありますが。)。
4 決してやらない
私がはじめて異動した部署は警備部機動隊でした。同期生10名とともに署に配置され、多くの者が春に管区機動隊に入ったにもかかわらず、交番勤務のままだったのですが、秋に箱長とともに異動となりました。
当時の新隊員訓練は、早く走ろうと遅く走ろうと訓練を指導している先輩に指揮棒で殴られたり、完着で懸垂を5回したのち逆上がりをするように命じられ、何とか懸垂は出来るものの、逆上がりが出来ずに鉄棒から手を離すと後ろから尻を蹴られるというものでした。
夜は夜で勤務時間ではないにもかかわらず、「自主練習」という名目のもとで手旗結索の練習をするのですが、実態は「しごき」という暴力でした。寮ではアルコールの強要は毎日のことで新隊員訓練後に辞めていった同期生もいます。
今ではそのようなことは行われていませんが、いずれも上司は見て見ぬふりで、それが当たり前という認識を持っていました。
三里塚闘争における神奈川県警3名の殉職や成田闘争における火炎瓶襲撃などあり、確かに機動隊員が異なる体力であったなら、そこに間隙が生じたり、体力がおちると「死」が待っている現場があることも分かります。
しかしながら、目的は体力の向上であったとしても手段がそれで良いのかということであり、その中に私憤なり、悪意が含まれているのであれば、犯罪というしかありません。個人的にはそのような行為を苦々しく思っている先輩などもおられたと思いますし、彼らはそのような行為をすることはありませんでした。個人的にはそうであっても組織という集団が認容してしまうとそのようなことが起こってしまうのです。
私自身は「やられて嫌なことは決してしない。」と思っていましたし、「自分は決してやらない。」と肝に銘じて仕事をしてきました。たとえ組織が認容していようとも私自身は決してやらないし、一人でも反駁していこうと思って仕事に向き合ってきました。



コメント
こんにちは
退職の挨拶葉書を頂戴しありがとうございました。住居は右京区内へ移られてたのですね。
ブログ、流石の文能と感じています。私は今でも現職当時の夢をみることがあります。何故か夢の中では退職してOBの認識があるにも関わらず、ある刑事課で雑多なことをやらされているおっちゃん刑事みたいな場面が多いです。まもなく年金暮らし、趣味の野鳥撮影を楽しみなごら、警察の皆さんには心の中で応援したいと思います。