季節にさえ移り替わりがあるように、人間にもさまざまな感情があります。考える動物ですから、笑ったり、悲しんだり、怒ったり、はたまた楽しんだり、騒いだり、喜んだりします。
警察職員は、ひとくくりに「警察職員だから」と言われます。そのあとに続く言葉は「我慢しなさい。」とか「しっかりしなさい。」というものです。
刑事課長だったときに、本部の応援を求めることなく、供応の選挙違反を任意捜査で検挙した後に、署に対しては、本部長賞誉を出すが、個人には出ないということがありました。
署は人が動いていますし、表彰というのは、出来るなら個人に、それも地域警察官に出して欲しいという思いが強かったのですが、そのような結果となってしまい、受け取り者である私自身は本部に表彰を受け取りに行くことはありませんでした。
その後に捜査第二課の主席調査官から呼び出しを受けて、「警察は生活も安定していて云々」というお説教をいただきましたが、表彰というものはそもそもそういうものではなく、家庭に持ち帰ってこそ、家族の理解も得られるものなのですから、到底納得できる話しではありませんでした。
警察職員と言えども人間です。経験をしたことが無い出来事やどうしようもない現実に直面することがあります。
東日本大震災においても、ご遺体の保管やご遺族対応などを行うことは警察職員と言えども、その重圧は大変なものだと思っていました。
「死に直面する」ということは誰も経験したくはりませんし、経験したからといって置き換える感情は持ち合わせてはいません。
人の死は誰と比べるわけにもいきませんから、訓練したからと言って乗り越えられるものではありません。
だからこそ、人間はそういう現実や現場に直面したときに「放心」し、泣き叫び、怒り、騒ぐことで心をコントロールするのだと思います。
そういう場面でも、警察組織は、「警察職員だから騒ぐな。」「ご遺族が見たらどう思う。」と心のコントロールを力で押さえつけようとします。
お酒を飲んでも、飲まなくても、「泣けて」「叫ぶ」ことが出来る場所を作ってあげることをなぜ考えないのでしょうか。
犯罪の被害者に二次被害を惹起させるのは「あなたは強い人ね。私なら生きていけない。」とか「あなたは大切な人がいるからがんばらないと。」という言葉や励ましです。
「今も頑張っているのにこれ以上がんばれない。」「私はそんなに強くない。死ねるなら今すぐに死ぬ。」と犯罪被害者は思い、また深く傷つき心を閉ざしていうことになります。
しんどいときは「しんどい」という。泣きたいときは「泣く」。疲れたときは「休む」。それが普通です。
自分は他人ではありませんし、自分が出来たからと言って他人が出来るとは限らないのです。感情も同じで、自分が思っていることをそのまま口に出したり、行動したら良いというものではありません。
「少し疲れているな。休んだらどうや。」と声をかけたり、「そうだね。そういう考え方もあるよね。」と肯定したり、「そんなことないさ。すごいね。」と褒めてあげたり出来れば、声を掛けた人も掛けられた人もきっと少しは気持ちよく過ごすことが出来ると思います。
そういう組織で、職場であって欲しいと思います。



コメント