先日の続きです。
もちろん、自宅は開放状態であり、寝られる環境や床もありませんでしたので、そのまま翌朝を迎えました。
泥を掻いても、掻いても、鉄砲水が押し寄せてきて、また水が引くと泥を掻くいう作業が、数日、続くこととなりました。
ボランティアの方が全国から来られてましたが、鉄砲水が出るということで、ボランティアの命が危険という理由から、引き揚げて行かれました。
亡くなられた方もおられたのですが、局地的な水害であったこともあり、出勤することが出来ないということを署長に電話する(当時は副署長として勤務していました。)と「歩いてでも来られないか。」と言われ、言葉が出なかったのですが、後日出勤した際に署長から謝罪を受けました。
警察や消防はいない、自衛隊もいない、仕事にもいけない、休むところはないというまさしく四面楚歌の中で、何とか家だけでも復旧させなければならないという思いで泥を掻いていました。
ガレージの自宅前の用水路に堆積している土や砂を道路中央側に掘っては捨てるという作業とホースで水を流すという作業を繰り返し続けました。
電気は漏電する可能性があるということで復旧されず、数日して復旧はしたものの、風呂場のポンプは浸水で壊れて排水出来ず、洗濯機も水に浸かって使えず、エアコンの室外機も水に浸かったことから使うことは不能でした。
裏庭の堆積した泥や畳をあげたあとの床下の泥を片付ける必要もあり、消毒も繰り返さないと虫などが発生してしまいます。
このような中で笑っていたと思います。というか笑うしかありませんでした。
東北大震災時には警務課の次席として、課員を派遣している立場であり、その翌年の水害でしたので、スコップを使いながらも、東北の人たちはもっと大変だっただろうし、これからも苦難の道だろうと思うと冷めた自分が居て、これからお金もたくさんかかるだろうし、時間もかかるだろうしということを考えたくない自分が居て、怖いくらいなのですが、やはり笑うしかなかったと思います。
門扉の周りに沢蟹が歩いていたり、鮒や鯉が流されてきたり、「ここは道路なんだよな。」と思うと可笑しくもあったのです。



コメント