古代ギリシャの哲学者であるソクラテスは、「知らないことを自覚する。」という意味で、「無知の知」と言ったと伝えられています。
しかしながら、「無知の知」とソクラテスが言ったわけではなく、哲学の概念を表している言葉のようです。
この言葉は、「無知の知」というよりも、知識が欠けていることや愚かなことを意味しており、「不知の知」という表現のほうが正しいかも知れません。
その「無知の知」という言葉の概念というか、概念には「驕り」のようなものを感じます。
ソクラテスは、知恵者とか賢者とされる高名な人々を訪ねて、教えを請うたのですが、その結果、全ての人は、「何も知らないのに知っていると思い込んでいる。」と考え、「無知の知」を知っている自分は、やはり一番の知恵者だ、知らないということを分かっているからこそ知恵者だと思ったのです。
ソクラテスは、知恵者や賢者の「しったかぶり」を暴露することによって、無実の罪で弾劾され、毒を飲んで自殺することになります。哲学の探究が、自ら死を招いた結果となってしまいます。
「偏見」や「誤解」は、「知らないこと」から生まれます。「知ろうともしない」者も、「偏見」や「誤解」を持つ者と同じだと思います。
警察組織は、長い間、「愚直」というお題目を掲げて、「いつか分かってくれる。」「真面目にさえしていれば、必ず通ずる。」としてきました。
しかしながら、「警察組織」がそのように思っていても、巷では、「警察組織」に対する「偏見」や「誤解」がありますから、いつまで経っても世間は分かってくれませんし、通ずることもありません。
警察組織は、全くと言っていいほど「広報」が拙いことから、「偏見」や「誤解」が生まれ、「知ろうともしない」者を巻き込んで、さらに、「偏見」や「誤解」が拡大していくのだと思います。
警察組織のマスターベーション的な「広報」を行うのではなく、「偏見」や「誤解」に対して、「積極的な広報」を繰り返して行うことが、現場警察官や警察活動における強力な後押しになるのだと思います。



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