通っていた高校は、夏には暑中訓練、冬には寒中訓練と男子生徒は、剣道か柔道を選択して、授業前に、武道を一定期間行うという旧制中学からの名残がありました。
三年生になると通常の6時限授業から、8時限授業となり、朝の7時30分には授業を受けていました。
夏休みも、テキスト代だけを払って、選択した授業を受けることが出来ましたので、田舎でもあり、塾などもあまりありませんでしたので、生徒も先生も「全員が進学する。」という気持ちで授業を受け、授業をしていただいていたと思います。
しかしながら、私自身は、高校の授業料などを自腹で用意しなければならず、勉強するよりもアルバイトをすることのほうが忙しかったという記憶があります。
おしぼり屋さんで、朝早くから働いていたのですが、それでは体がもちませんので、夜のパチンコ屋でアルバイトをすることにしました。
パチンコ屋でのアルバイトが慣れてくると、台の鍵なども持たされ、玉が詰まったときなどの対応もしていました。
客の中には、暴力団員と思われる人も多く、猫なで声や時には脅しみたいな口調で、「球を出すよう」言われることも多くありました。
不正などは出来ませんので、断ってはいたものの、このままではいけないなと思って、パチンコ屋のアルバイトは辞めて、居酒屋でアルバイトをすることにしました。
パチンコ屋のオーナーは、市内に多くのパチンコ店を持っていて、辞めると告げに言ったときには、「高校を卒業したらうちに来い。店も持たせてやる。」などと小一時間ほど説得されましたが、逃げるようにしてアルバイトを辞めました。
居酒屋では、一本下駄を履いて、最後には、焼き場まで任されるようになりましたが、当然と言えば当然の結果として、大学に受かることはなく、予備校に通うこととなりました。
予備校の授業料も払わなければなりませんから、居酒屋でのアルバイトを続けて、これまた当然のように現役時代より成績があがるわけもなく、いろいろと迷走していた時代だったと思います。



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