「おもいやり」や「きづかい」という言葉には、「思い遣り」「気遣い」という言葉があっているように思います。
「遣」は「使」と異なって、「精神的」な意味合いが強くなります。
この「思い遣り」や「気遣い」が出来なくなると、「隣の花は赤い」という思いにかられることになります。
「隣の芝生は青い」や「他人の飯は白い」と同じ意味ですが、「他人のものは、何でも良く見えてうらやましく思うこと。」を言います。
警察の業務は、たくさんの部門に分かれています。官房と言われる総務や警務がありますし、総務の中には、会計課があったり、警務の中には、人事や採用という係があったりします。
刑事や生活安全であっても、いろいろな仕事に細分化されていると思います。
しかしながら、俺は知能犯係だから検視は出来ない、やらない、私は、保安係だから人身危機は対応しない、やらないという考え方で、警察の目的は果たせるでしょうか。
そのような組織の話しで無くても、「課際」や「係際」というどちらの課や係に属しているか分からない、あるいは、どちらの課や係でも良いのではないかという仕事もあります。
「それは、お前の係の仕事やないか。」「あれは俺の仕事じゃないぞ。」と業務の振り合いをするとどうなるでしょうか。
人知れず、そのような仕事を背負っている人もいるということを考えてください。得てして、そのような人は仕事が出来る人であって、気遣いや思い遣りがある人なのです。
仕事は、組織で細分化されているようにも思われますが、縦で分かれているのではなくて、横断的に仕事を進めなければならないこともありますし、全ての課や係にまたがっている仕事などはたくさんあるのです。



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