Eva(公益財団法人動物環境・福祉協会Eva)

取調べに対する一考察

取調べ

 警察や検察における取調べは、今後、全事件において「録音録画」の対象になってくるのだろうと思います。自供を得るということは大切な捜査のひとつですが、これからはもっと自供を得るということは難しくなっていくのではないかと思います。

 取調べを行っている者に対して、「目撃者がいる。」とか「被害者はこう言っている。」という取調べで得た自供は「切り違え尋問」と同様に証拠能力が否定される自供となります。

 往々にして「やっただろう。」とか「君しかいないんだ。」という取調べなどはドラマの中の出来事であって、真実の供述は得られません。

 前にも少し触れましたが、「人間は言い訳をする動物である。」ということや話さないからにはそれなりの理由があるということを認識して取調べをしないと自供を得ることは難しいと思います。

 例え話です。小さなお子さんがおられる方は考えてください。

 家に帰るとリビングルームの敷物が濡れていて、ガラスのコップがひとつ足りません。家の中にはお子さんしかいないという状況で、お子さんを前にしてビデオを設置して「お母さんには言わないからコップを割ったことを素直に話しなさい。」と言ったとして、お子さんは正直にコップを割ったことをはなすでしょうか。

 きっと「〇〇ちゃんがやった。」とか「私は知らない。」と言うのではありませんか。責任を転嫁したり、言い訳をするのは子供の特徴なのかもしれませんが、自分を守るための本能というべきものかもしれません。

 水を向けるというか、自分の子供の特質を理解しているのならば、「やっただろう。」という聞き方をせずに、「手を見せてごらん。けがはしていないか。大丈夫か。」と気遣った聞き方であれば、「ううん。大丈夫。ちゃんと片づけたし。手も洗った。」と答えるでしょうし、それが自供です。

 また、「まだ、濡れているね。〇〇ちゃんが歩いたら怪我をするかもしれないね。」とお子さんに聞けば「大丈夫。コロコロもしたよ。」と言えば、それも自供なのです。そこからゆっくりと話を聞いてあげれば良いだけです。

 「ガラスのコップを割った。」というそのものの供述を引き出そうとするのではなく、その事実を認める糸口や話しを導き出すのが取調べなのです。

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