アイキャッチの画像は、知人が退官祝いにと一所懸命探してくれた「森伊蔵」です。器もいただきました。本当にありがたいと思います。
フェイスブックやインスタ上に座右の銘みたいに書いている「梅の花 一輪咲いても 梅は梅」
江戸時代末期に雅号を「豊玉」とする人が詠んだ俳句ですが、季語はたくさん入っているし、そこから思いをはせるものもなく、「そりゃそうだ。」としか言えない下手くそな俳句と言われています。
「梅と桜(美しいものが並んでいる様子)」とあるように「梅」は、美しいものに古来から例えられ、疫病を封じ込めるのに梅を使ったという言い伝えがあり、梅は、剪定されも枯れる桜のように弱くはなく、強い木でもあります。
江戸時代の死生観は現代と異なり、特に武士の死生観は「美しく死ぬ」というもので、生きていることよりも「いかに美しく死ぬか」ということが意義であり、武士は人を殺めることを専門とする殺人集団であったのではありません。
武士は人生において、「生」よりも「死」を強く意識して、「死」を如何に美しく飾るかということを重要視しており、当然、「死」が美しくあるためには「生」が美しくなければならず、この概念がまさしく武士道と言われたものです。
この死生観は、第二次世界大戦において特攻した人たちの「死生観」にも通ずるものであり、それを理解出来ずに「靖国神社」を語ることは出来ないと思います。
俳句の作者は、新選組時代には副長として組織を支え、戊辰戦争では旧幕府軍指揮下の一人として各地を転戦し、蝦夷共和国では軍事治安部門の責任者に任ぜられ、明治2年5月11日、戊辰戦争の最後の戦いとなった箱館五稜郭防衛戦で、銃弾を受けて、蝦夷共和国の閣僚8人の中で唯一の戦死者となったものです。
もうお分かりだと思いますが、「豊玉」は「土方歳三」の雅号です。
土方は、武蔵国つまり現在の日野市の農家に生まれ、武士になりたくてもなれな階級社会の江戸時代で、新選組副長から幕臣に取り立てられることとなりました。武士で無いからこそ、武士らしく生き抜きたいという思いから、新選組の鉄の規律である四箇条の禁令を定めて、武士らしくない行いをした者については粛正を行ってもいます。
本人自身が、戊辰戦争にあっても逃げることなく、箱館五稜郭にあっては、最後まで降伏に反対して戦死しています。
私なりの俳句の解釈は、「武士は一人でも武士。武士は武士以下でも武士以上でもない。」という意味であり、最後まで武士として、生きること、生き抜くことで美しさを貫く決意をした句だと思っています。
「警察官は一人でも警察官。警察官は警察官以下でも警察官以上でもない。」と思って仕事をしてきました。



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