Eva(公益財団法人動物環境・福祉協会Eva)

恥ずかしい思い

捜査

 もう10年以上前になりますが、犯罪被害者支援室長をしていたことがあります。当時の名刺には「主席調査官 警務課次席兼犯罪被害者支援室長兼企画調整室長兼市企画課次席」と記載されており、虫眼鏡を添えて渡さなければならないようなしろものでした。

 龍谷大学の教授の枠をいただいて、市民講座で「少年犯罪被害者当事者の会」の代表であった武るり子さんとご一緒させてもらい講演を行うことになりました。

 市民講座は90分ずつの5日間に亘って行われ、大学のリーフレットを新聞に折り込んだり、新聞に載ったりしたことで、かなりの人が集まることになったのですが、その一日を割いてもらって講演を行いました。

 武さんは、平成8年11月に長男を、文化祭に来た少年から因縁をつけられ、逃げても追いかけられ、頭を地面に打ち付けられて殺害された方です。後難をおそれた目撃者である長男の同級生にさえ、長男は「自転車で倒れて鼻血を出した。」と証言され、犯人の少年は「喧嘩」と最後まで押し通しました。

 一方的に暴力を受けたにもかかわらず、マスコミには「喧嘩」と報じられ、その発表をしたのは「警察」です。知人や近所の人にも「喧嘩だから亡くなった長男にも責任があるだろう。」と思われ、少年法の壁により、犯人の名前さえも教えてもらうことなく、その犯人は少年院を11か月で出てきたことも教師を通じてはじめて教えてもらったそうです。

 そんな不条理な取扱いを何とかするために、会を立ち上げたのが武さんですが、少年法改正の転機となったのは、武さんの事件ではなくて、その半年後に起こった「神戸連続児童殺傷事件」です。

 武さんが話されたことで、印象深いことがありました。

 「夫婦は痛みも悲しみも分かち合えるものだと思っていました。しかし、実際は違います。夫婦で悲しみは分かち合えるものではなく、何倍にもなり、元の夫婦には絶対に戻れません。」

 武さんの夫は、長男に常々、「喧嘩になりそうなら最初に謝れ。謝ってだめなら逃げろ。」と教えていたそうですが、「それでもだめだったら。」という長男の質問には答えていなかったのです。

 長男は父親がいうとおりにして殺害されてしまったのです。武さんの夫は自責の念でしょうか、実際にはやってはいけないことだと分かりながらも、毎日、刃物を研ぎ、ちゃぶ台をひっくり返すということをしていたようです。

 武さんは、夫婦と長男、妹、弟の5人家族で、いつも一緒に食事をしていました。長男が殺害されてからは食事の用意をしたり、食事をしようとしてもそこにはいつもなら「5人分」なのに「4人分」しかない現実を受け入れられず、ちゃぶ台をひっくり返すという行動に出たのです。

 武さん自身も、4人分の食材を買うということが受け入れられず、その行為が自分を責めることとなり、買い物に出かけることさえ出来なくなり、近所の人に自ら助けを求めて食事の用意などをしてもらっていました。

 そのころの武さんは、枯れた草から芽が出てきているのを見ても腹が立ったと言っておられ、一歩外に出るとみんなが自分のことを避けているように見え、それを近所の人に怒りに任せて言葉にしたところ、「今のあなたの顔を見てごらん。」と言われ、このままじゃだめだと会を作るきっかけとなったようです。

 私は、講演で、はじめて武さんの話しを聞いたというわけでもなく、その思いは知っていましたし、書にふれることもありましたが、何度聞いても「反省」という思いしかありませんでした。犯罪死だけでなく、病死であろうと災害死であろうと、本当に真摯に亡くなられた方と向き合ってきたのだろうかと。

 出来ることなら現場に行きたくない。家族には連絡したくない。損傷しているご遺体や何日も経過しているご遺体ならなおさらです。

 当時の私は「エンバーミング」という言葉さえも知らず、最愛の人を亡くし、火葬の許可や除籍の手続きや葬儀の用意をしたり、やりたくもないことをやらなければならず、思い出したくもないのに何度も聞かれて。

 これが犯罪死であるなら、何度も何度も事情を聴かれ、検証や見分に立会い、警察で、検察で、裁判でとまた心を抉られる毎日が続くこととなるのです。

 そういう思いと反省を込めて、私自身は講演をさせていただいたのですが、武さんは涙を流しながら話しを聞いて下さり、終わったときには手を握って下さいました。

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