現職の40歳代のときに、東京に単身赴任していました。
私が住んでいたところは、目の前には早稲田大学の理工学部校舎が並び、少し歩けば早稲田大学の本学舎や学習院女子大学がありました。
赴任して、すぐに東京メトロの副都心線が開通し、今では、副都心線は横浜まで乗り入れており、当然、終点であった渋谷も景観を変えようとしています。
副都心線の西早稲田駅から新宿三丁目駅を経て、霞ヶ関までは30分で通勤出来ました。それまでは高田馬場駅から東西線に乗っていたのですが、それに比べると格段に通勤が楽になりました。
高田馬場駅は、まさしく学生の街で、昼夜を問わず、学生で溢れていました。官舎から見て高田馬場と正反対方向には韓流で有名となった新大久保の地域がありました。
そこはまさしくエスニックタウンと称しても良いような街でもあり、ときどき自分で身ぐるみをはがしたと思われれう男性が路上に寝ていたり、ホテル街には一目で日本人では無いと分かる女性が経っており、新大久保を抜けるとそこは歌舞伎町でした。
当時の新大久保は休日になるとたくさんの老若を問わない女性が韓流目当てで闊歩しており、車道も自然と歩行者天国になるような感じであり、それからはしばらくさびれていましたが、また復活しているように聞いています。
そんな街中で、古びた八百屋を見つけて、休日には、食材を買い出しし、一週間分のご飯を炊いて冷凍し、根菜を出汁で茹でて冷蔵庫に保管して、出勤する際に卵焼きを作り、朝食用と弁当用にして、根菜に味付けをし、ご飯を解凍して弁当に詰めて、霞ヶ関に行ってました。
休日は、それからアイロンをかけたり、洗濯をして、布団を干しても、まだ昼前ですから、ジャージに着替えて、自宅を出て、明治通りから東京女子医大前を経て、早稲田大学に行く夏目坂を下り、都電荒川沿いを走って、官舎に戻っていました。
ときには神楽坂を抜けて、靖国神社まで走ったりもしたのですが、最初は道に迷ってしまい、お金を持って出ていなかったので電車にも乗れず、4時間以上彷徨ったこともありました。
今より優に15キロ以上は痩せていました。たまに東京に出張してきた後輩たちが、私には直接言いませんが、京都の帰ってから「やっぱり東京勤務は大変なんだ。」と口にしていたみたいです。
節制(お金はありませんでしたし、飲み会もほとんどありませんし。)して過ごすとちゃんと痩せるということなんですが、別に仕事がきつかったわけではないのです。
私が居た部署は、特殊な部署で、企画という仕事ではあったのですが、国会議員からのレクチャ要請もありませんでしたし、毎日ぎりぎり考えなければならないということもありませんでしたので、結構早めに帰っていました。
赴任当初は、何をしたら良いのかさっぱり分かりませんでしたが、担当している訴訟手続きの本を読んだりしていました。突発事案等に対応することなど皆無でしたので、休日もゆっくりと過ごせました。いろいろと面白くないことはたくさんありましたけど5日出勤すると必ず休みが来るので、そこらへんで気持ちの調整をしていたのかもしれません。
つづく。



コメント