刑事に成りたてのころに第三期生として「捜査官研修」を一年間受けました。当時は、刑事部に所属する鑑識課以外の各課から巡査部長を集めて行っていました。今は刑事部だけでなく各部の警部補を対象としており、期間も短くなっているようです。
捜査官研修の目的は、「刑事部の幹部」あるいは「職人」を育てるというものであり、刑事部の各課に数か月単位で研修に行くというものでした。
警部補対象の専科である検視専科や捜査指揮官専科などの巡査部長で入校していたのですが、徒弟制度がまだまだ強い時代でもあり、いろいろと雑用を言われたり、相手にされなかったりとあまり良い思い出はありませんでした。
捜査第四課(今の組織犯罪対策第二課)で研修を受けてたとき、指導員の方に貴船の山に連れて行ってもらったことがあり、山の奥で何をするでもなく、木々を眺めていましたが、その風景はなぜか今でも良く覚えています。
連れて行ってくれた方はちょっと小太りで、暴力団を相手にしているとは思えないほど穏やかな人でした。こういう言い方は失礼かもしれませんが本当に仕事が出来るのだろうかという思いもありました。
当時、私は20歳代で、何でもやってやろう、何でも覚えてやろうと遮二無二やっていた時代でもあり、他人に負けたくないという思いも人一倍だったのかもしれません。
私は研修を終えた春に警部補に任官しましたが、当時は、任官する者は全て、本部に召集され、本館三階会議室で辞令を交付されていました。貴船に連れて行ってくれた指導員も警部補に任官することになっており、任官する者の先頭で車いすに乗ったまま、辞令交付を受けておられましたが、貴船に行ったときの面影はなく、げっそりと痩せて小さくなっておられ、夏を待たずに亡くなられてしまいました。
捜査第四課の刑事で、指導役の方がそうそう貴船の山に来て、みどりを眺める時間などはとれなかったでしょうし、きっと私に仕事を教えても「それくらいわかっている。」とか「さっさとやりましょう。」という殺伐とした生意気な態度を感じ取っていたのかもしれません。
だからこそ、心に余裕を持つようにと口で言っても分からないだろうから貴船に案内し、周りが見えていない私を諭してくれたのだろうと思いますが、生き急いだのは彼の方だったのかもしれません。



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