被疑者を検挙するということは、被害者や遺族の思いも背負っています。
殺人事件など、時効が撤廃された犯罪もあります。これには、「必ず犯人を捕まえてくれる。」という警察に対する期待も含まれているのです。
何度か触れていますが、殺人事件の犯人が捕まったからと言って、亡くなった被害者が生き返るわけもありませんし、性犯罪の被害者が、被害に遭う前の精神状態に返るというわけでもありません。
それでは、なぜ犯人を検挙するのでしょうか。当然ながら職責もありますし、法が求めていることでもあります。もちろん、前段で触れたとおり、遺族や被害者の思いもあるでしょうし、生きていた証を確かめたいという思いもあるでしょう。
私としては、犯人検挙には、「被害者や遺族に前に進んで欲しい。」という思いがありました。
特に性犯罪の被害者は、「そんな服装をしているから。」「深夜に一人で歩いていたから。」などという口さがないにわか評論家たちによって、あるいは、ことさらに噂したい者たちによって、苦しめられることになり、いつしか、「自分が悪かったのだ。」と思い込むようになってしまうのです。
「そんなことはない。悪いのは犯人に決まっている。」ということを証明するのが、警察捜査であり、犯人検挙なのです。犯人を検挙し、有罪とすることによって、被害者は、「前に進める。」のだと思っていました。
警察官である以上、捜査にはそれなりの覚悟を持って行う必要があります。
遺族や被害者には、「一生懸命しました。」「頑張りました。」という言葉は必要ありませんし、捜査をしていない、逃げ口上だとしか聞こえないのです。
どのような環境であろうと、犯人を捕まえる可能性が低かろうと、「必ず捕まえます。」と言い続けなければならないのが警察官であって、それは必ず、成し遂げなければなりません。
自分を擁護したり、謙遜する必要は全くありませんし、「これならできます。」という条件を下げることも全く必要はありません。
被害者や遺族に対しては、「必ず犯人を捕まえる。」という言葉と覚悟が必要なのです。



コメント